2012年1月13日金曜日

ロス







ロスは温かい。冬なのに半袖の人もたまにいる。

人はオープンで、「毎日ウェルカムよ」「楽しんでね」など、
店員が必ずと言っていい程一言足して来る。

「いらっしゃいませ、こんにちは」「おおきに、ありがとうございます」
一言足すのは店員の常なのだろう。イタリアでは、
「チャオゥ、グラツィエ」というのが常だが、全然閉鎖的。

飯やらカフェは、断然イタリア。なにか変な感じがずっと
胃にあるのはなぜだろう。



行きは、いろいろとあった。写真はコモのあたり。知ってるところを
飛行機で通るのは面白い。しかしアルプスを超えると、そこは雲だらけ。
何も見えない。


チューリッヒで降下すると、びゅーびゅーと風が吹いていて、
見るからに風速がヤバい感じだった。

すると機体が揺れた。すぐにエンジンを全開にして空に帰る。
アナウンスで近くの空港に行くと言う。しかしそこでも
急降下して、「オーマイゴッド!」とアメリカ人だけが叫ぶ。
さすが、と思いつつも、ヤバい感じがした。

結局、ドイツもだめということになり、ミラノに引き返した。
その後、いろいろすったもんだが職員と乗客の間にあり、
予約を変更することになった。

時間がかかって、大変だったけど、列に並ぶと数時間かかって大変なので、
電話したらいいよとイタリア人が教えてくれて、電話だと30分で
予約の変更ができた。もうこの時点で疲労困憊。前日の半徹夜が
悪影響。スイス航空からは新しいチケットと変更料無料の
領収書が届いた。あたりまえや。

ぐっすりと寝て、というわけにはいかず、日本人を2人程助けて、
友人宅で新年会をして、6時間の睡眠にありついた。

すっきしして、今度はミュンヘンへ。空港の飛行機から、
カートからきちっと一列に並んでいる空港。さすがドイツ。
スイスエアの方がよかったんだけど、ルフトハンザになってしまった。
空港では前日に話したイタリア人が何人かいた。目的地が同じ人は
やっぱりそうなったんだ。

ミュンヘンでは結局、滞在許可証の提示を求められた。
やっぱり他人やネットの意見はあてにならない。誰も信じない訳ではないけど、
確信に満ちた人程疑ってしまう。確実なことを言う人はいつも
謙虚で中庸的だからだ。

まずいまずい機内食に辟易しながらも、ロスについた。
長い長いパスポートコントロール。自分の番は3分で終わったのに。
そして長い長い荷物チェック。僕は10秒で終わったのに。
日本人は早いけど、南アメリカや中国系が長い。

太鼓やらミーティングやら、濃い内容の日々がこうして始まったのでした。
太鼓はアメリカンも多いけど、日系人がかなりいる。日本語はなせない
日系人もいる。でもどこか日本人ぽい。おもしろいなあ。

2012年1月5日木曜日

ロスえ

いよいよロスへ出発。フライトが長いので、徹夜しています。
2時間昼寝してロスの朝に起きたので、いい感じ。

到着したらすぐに太鼓。迎えにきてくれるのは、
今回お世話になるNさん。なんとグラミー賞を
和太鼓奏者として初めて受賞された方です。
作曲された新曲も学べるし、グラミーとったCDの
ソロ演奏も学べる。楽しみやわあ。ついでにNBAの
レーカーズも見ときたい。気温は最高24度とか。
最高や。合間を見て、facebookのタイムラインの
カバー用にこんなの作っちゃいました。


1月ミラノを明けるので、正月返上で仕事仕事仕事だった。

実は、こんかいにこぎつけるのに、さらに大変な
事があった。身分証明書が必要なときがあり、
滞在許可証を持って行ったのだが、慌てて行ったので、
ポケットに入れたはずの許可証がなくなっていた。
きをつけてきをつけて、あわててなくすという。。
あるはずもない滞在許可証を何度さがしたか。

ということで、すぐに複製を申請。スムーズに行ったのだが、
なかなか届かない。12月30日にしびれを切らして、
仮滞在許可証を申請しに行った。というのも、申請中は
国外にでては行けないので、本券がないなら、これを申請しないと行けない。
申請のレシートでは行けないのです。フランスではレセピセが
効果を発揮するとかしないとか。

しかし、ネット情報では、仮ではシェンゲン圏内の他国を経由しては
いけないとか、経由地が違っては行けないとか
いろいろあった。行きがチューリッヒ、帰りフランクフルト。
ということで心配の種だらけだった。

移民局で申請すると、「問題がある」と窓口の職員が言う。
やっぱり?と思ったら違う事だった。
前日の12月29日に新しい許可証がローマで印刷されて
発送されたので、そうなると仮は発行できない、という。

なんてこった!じゃいつ届くの?というと1月4日に
順番待たずに来たら良いと紙に書いてくれた。そして
まずここに届くからチェックしてやる、と。
親切な人にいつも出くわすんだけど、今回も。
ありがたや。実際それがないと寒空で待たされる
ところだった。この国は文書とサインがとても重要で
効果を発揮する。サインの重みを改めて学んだ。
話し言葉は飛んでしまう、とラテン語でも言うらしい。

4日に行くと、顔を覚えてくれてたらしく、手招きして、
「来てる事を望むよ」とすぐにチェックを始めてくれた。
そして奥に行って、帰ってきた。手ぶらやん。

「仮、発行するよ」

「?」

まだ届いてないの?
仮は発行できないっていってたよね?

まあ、どっちでもいいや。

なにせ、招待状(自分で書いてサインだけしてもらった)には
「グラミー賞」の文字が。仮なんて担当官の判断で
印刷してしまえばあとは写真を特殊シールで貼るだけ。
すんなり行きました。友人のように担当官と仲良くなり、
数週間の苦悩から解き放たれた訳です。まるで釈放でも
されたかのように。

ということで問題なく出発して帰国できる訳です。
だんだん移民系の手続きに強くなって行く私。
ネットのせいで心配の種が増したので二度と信用しません。
今回は担当官もタイミングもよかったし、招待状が
強かったのでよかったけど、準備次第ってことだと思う。

日本人だとパスポートチェックだけで滞在許可証は
聞かれないと言う人もいたけれど。
念には念をが、日本人ですし。

2012年1月1日日曜日

2012


年が明けました。

ちらっとネットで紅白を見たら、地元出身の
五木ひろしが「ふるさと」を歌っていた。
妙に懐かしくなった。

連ドラ「ちりとてちん」こちらも地元が舞台で、
本人がこの歌をドラマの中で歌ったのは
忘れられない名シーンだった。

父親も紅白みながら歌ってんだろうなとか思い、
妙なシンクロ間を感じながら、サビを歌った。
この曲のサビ以外は知らないけど。あ、
振り向けば日本海がなぜかiTunesに入ってる。

結構懐かしい気分になるのは海外で正月を
迎えるからだろう。日本の正月程風情のあるものはない。
子供のときからの魔法のような時間が、記憶として
残っていて、日本の風習、文化の奥深さを
感じる訳です。ワインもいいけどね。

日本だと斉藤和義が「ミタ」で偉い注目されてるみたいだね。
僕は33歳。彼の歌を聴き始めたのが多分15か16。
こんなに長い間支持してるアーティストはそうそういない。
ということで今年最初のブログ登場曲もやっぱりこの曲。



今年は、爆竹フライング禁止令がでてたらしく、
年が明けるまで爆発音はあまりしなかった。
例年はうるさくてかなり腹が立つけど、
年明けと同時に近くのミラノ中央駅では盛大に花火が
上がったのが空が光っていたのでわかった。

上司が年が明けるなり、なぜか日本から届いた被災者の
歩みのビデオを見ようとか言い出して、20分もあったので
花火が終わってしまった。

同僚にアメリカに持って行くワインを届けてもらった。
梱包すると中身がわからないので、GとかSとかMと
書いておくと、ワイナリーのミンモと電話で打ち合わせたのだが、
もう一つTと書いてある箱があった。はて?と思って開けると
それは僕へのプレゼントのボトルだった。

初笑い付きの心憎いプレゼント。ありったけの感謝の言葉を
メールに書いた。

人をほっこりさせる人になりたいと思います。