
暖かいのがようやっと定着してきた。
春の陽気で、頭も体もほわんとなります。
でも、京の桜は見れません。
せめてアーモンドの木が植えてあったらいいのに。
桜と見分けがつかないくらいそっくりなんです。
田舎でしか見れないけど。ミラノにアーモンド
植栽計画をお願いしたい。


家の近所の中央駅。治安が悪いエリアです。
移民系の人が大半だけど、外で座る光景は、
ああ、春が来たなと思わせます。

中央駅向かって左半分はスケボースペース。
最近、ラガッツィ(野郎ども)は半そでになりました。

中央駅前のとおり。
まあ、うちの近辺なんて、こんなもんです。
このまままっすぐ行けば、左手になんと
公園があります。それほどきれいじゃないけど、
自然があるだけまし。
PMという言葉を知りました。
排気ガスに含まれる空気中の細かい塵のこと。
朝の決まり文句が「煤くさっ」ですし。
ミラノのひどいところは欧州のPM基準の
4倍で、慢性疾患になるそうです。うちも
空気は悪いほうです。
来週にはダイキンの巨大空気清浄機が
家に届きます。小さいのでよくがんばった。
週末は畑、という生活が数ヵ月後にはスタートする。
自然がどれだけ大事かわかります。
滋賀の嘉田知事も学生の頃、アメリカに留学して、
都市の環境汚染を目の当たりにして環境問題に意識を
持つようになったそうだ。それは、自然なことだと
感じる。今は、せっけん運動などで、琵琶湖の浄化に
努めてらっしゃる。滋賀は素晴らしい知事で幸せだ。
友達が胃炎で調子が悪かったけど、
僕らの自然農法オリーブオイルだけは受け付けて、
調子がよくなったと連絡をくれた。彼女は、ビオ農法で栽培された
オリーブや食品を普段食べている。でも、完全に無農薬無肥料で
自然の節理に沿った農法の産物とは大きな開きがあるということだ。
もちろん健康にもいいが、健康な食物は精神にも影響する。
悪い肉をたくさん食べる人は、やっぱり性格がゆがむし、
スピリチュアルといえるレベルのものを食べる人は、そういう性格になる。
いい肉を食べると、生き物を頂くという敬虔な気持ちがわいてくる。
肉が生き生きしていて、「肉」だから。日本の肉はほんと駄目。
また、自然農法を形だけなぞっていても駄目。作る人の言動が、
親が子供に影響を与えるように、自然にも影響する、とワイナリーの
友人は言う。ブドウは、すべての記憶をその実に注ぎ込むのだ、という。
ブドウが自然農法のフィロソフィーを高め、クオリティーを示し、
意義を与えるとは、誰も考えていなかった。ここが革新の起点になる。
しかし、「芸術作品と同じで、より高いものを求めようとしない人には、
このワインも全く意味がない。みんな分かりやすいほう、簡単なほう、
安いほうに流れてしまう」。僕が、その友人が持っている辻村史朗の
粉引きの壷のよさについて語ったのがきっかけだった。イタリア人には
陶器をさほど評価しないところがある。でも、僕がその美を語り、おき方を
工夫すると、彼はすぐその美に気付いて同調し、芸術の問題と
自然農法ワインの問題は同じだ、と語ってくれた。
昨日書いた、結晶があまりにもきれいな絵画のような模様だったが、
結晶生成力、結晶活力がかなりの高数値だった。
こういう、エネルギーでみる食と生活というのは、新しい文明の第一歩。
自然農法は具合が悪くても受けつけて、癒してくれるというのは、まだまだ
初歩。もっとすごい世界が見えるはず。その価値をまた伝えるのも
もうひとつの仕事。
でも、ソムリエ、芸術家、音楽家、いろいろ人間の五感に関わるプロがいるが、
それは、ある器官を徹底的に鍛えるから伸びるのであって、人間、
芸術音痴などいないと革新している。なにか五感で好きなものから
入ればいいのだ。触感の芸術は、太鼓とかスポーツとかヨガだろうか。
嗅覚はお香とかアロマ?
そこから、シュタイナーが表現した、より高いレベルの認識に至れるかどうか。
それは、その人がvocazione、英語で言うvocationを持っているかどうか
だという。vocationは天命、召命というキリスト教用語で、日本語では
よく訳されていない。つまりは、人間の根本にある、よりよく生き、
魂が満ち足りて、生きる意味を見出そうとするモチベーションのこと。
芸術が本当に分かっているか、ワインが本当に分かっているか、
そのところは、いかに物質的なものを超越するかに掛かっている。
色彩やタッチ、かたちというもの、香り、味わい、残り香、またそれらの
統合された雰囲気では、まだまだなのです。芸術の認識の先には、
恐ろしく広大な認識の宇宙がある。なので、僕は長次郎の黒楽が好きなのだが、
ワイナリーの友人と全く同じ感覚を分かち合えるとは予想していなかった。
芸術作品への直感を、彼のワインは研ぎ澄ませてくれる。
体験というのは、果てがない、と思う。