2011年8月29日月曜日

新エース登場





フォルランが来た。インテルに来た。エトーが抜けてどうなるかと
おもったけども、まさかフォルランがあんなお買い得にインテルに
来るとは思いも寄らなかった。フォルランが誰って人は、wikiで
調べてみるといい。2010年ワールドカップMVPでっせ。
こらもう、絶対見に行きます。




2011年8月27日土曜日

日本のめし


facebookの人は、こっちでもかい!と思うかもしれませんが、
日本からミラノに戻って以来、料理にはまっています。

大学生の頃以来の現象です。

豆腐は中国人街でしか安くないし、高級スーパーに行くと
結構高い。木綿は安いのがあるけどそれでも高い。

三つで百円なんていう豆腐があるのが当たり前だった
日本人にとって、そんなの食べてなくておいしい豆腐を
食べていた日本人にとって、おいしくて安い豆腐は
マストなのです。

朝ご飯のおかずとして、みそ汁に、夜は味噌漬けで日本酒の
おともに。冬は湯豆腐。

ということで見つけたのが、ひよこ豆で作る豆腐。
なんと入手しにくいにがりがいらない。しかも簡単。

成功したので、facebookで書いてみたら、コメントが
ふくれあがる。盛り上がり過ぎや、と誰しもが思うが、
隠れた欲求が掘り返されたのだろうか。

堅さは煮詰める度合いで変わる。カッチカチにもなります。
味噌漬けはマジで最高だった。焼酎で頂きました。

おから料理もできる。マヨネーズとタマネギのスライス、
茸と混ぜるだけ。

他にもこのひよこ豆で納豆や味噌もできるらしい。

料理熱のきっかけになったのは、風邪が治って食べた、
ムール貝の酒蒸しとサーモンの蒸し焼きだった。
病み上がりなので蒸した料理がいいだろうという
脳内会議の議決になり、味噌漬けやオリーブオイルと
ハーブに漬けたものを蒸してみたら、劇ウマ。

やっぱり料理は日々の活力の元だわということで、
イタリアンばっかり食べるのを辞めて和食を作り始めた。

このまま雑談ブログから料理ブログに方向転換していって
しまおうか。

2011年8月24日水曜日

季節外れの夏

ミラノ、急に熱くなりました。アフリカから熱波がやってきたらしく。
8月末にしては暑く、熱射病に注意して下さいとテレビでやっていた。
みんな暑いというが、湿度が低いので全然です。日差しはこっちの
勝ちだけど。

今日は、ワインのボトルにラベルを貼りに行った。
バカンスあけなのか、駅から田舎に行く長距離バスの
運転手はいつになく愛想が良かった。しかし、暑いせいか
チケット発行機が壊れていた。この駅の券売機はいつもすべて
壊れているが、バスのは初めて。電車は必ずミラノで往復を
買う事にし、バス対策に、必ず小銭をキープしている。
「舌打ちしない、されない」のための小さな努力です。

ついてカフェをみんなでとり、父なる神に祈り、仕事を始める。
機械でメインの大きいやつを張り、小さいのを手で。
1000本以上あるんですけどね。


機械は調節が難しいけど、早い早い。手で貼るやつは、
手がだんだんなれてきて、平行に苦労しなくても貼れるようになる。
考えなくても手は動く。デッサンがうまくなるのと同じ。

手は動く。しかし口も動く。よく動くイタリアの人たち。
カラブリア弁の話になり、「ペルケ?(なんで?)」が
「ピキ?」になると判明。「んなあほな!」「わかるか!」と
盛り上がる。

しまいに、イタリア語の遠過去形の活用クイズが始まる。
歴史とか物語の「なになにだったとさ」という大昔のことを
言う動詞の活用。

イタリア人も普段使わないので(南は例外)、
不規則な活用のやつとか間違える。おばかな回答で笑うのは、
もう見られないヘキサゴンでもここでも同じ。止まらないおしゃべりの
お陰で、日本にいたための言葉の衰えを回復できた。日本的
な感覚も多少失われますけども。

休憩中に食べた、マールブランシュの抹茶ラングドシャは
とても好評でした。

写真を撮ったけど、やっぱり室内となるとニューレンズもなかなか
威力を発揮しにくい。ノイズとピントの問題。
やっぱり5Dだなと思うけど、来年までこれで頑張る。

今のカメラで勉強しないとという思いが強まり、
ついにDVDを発注してしまった。アマゾン・イタリア。
初めてだけど大丈夫だろうか。来年までには
届くでしょう。「ordino' (注文したとさ)」と言わないで
すむ事を祈る。




2011年8月22日月曜日

2011年8月21日日曜日

ホスピスと太鼓

先日、ホスピスに太鼓を叩きに行って来た。
というのも、ここの責任者の一人が、どうぞ練習で
やってください、というのだ。

でも、うるさいですし、練習ですから決してきれいじゃないですよ、
というと、そんなのかまいません、ということだ。

行くと、庭に案内され、ここでどうぞと言われる。
患者さんやらスタッフやら家族が20人もいる。

小さな演奏会になってしまった。

下手でも何でもやれば喜んでくれる。

うるさいんじゃ、と思ったけど、太鼓の音なんて
全然関係なし。建物は壁が厚く、田舎なので問題なし。
びっくりしたのは、池の中の鯉くらい。

ということで、ここで毎週練習となった。

音楽セラピーもしているところで、その先生とも
音楽的交流ができるそうだ。

2年程前からここでできたらなあと思っていたら
ようやく実現の運びとなりました。

とにかく、患者さんは刺激が多い程いいようで、
普段はテレビを見たりボーットしたりでもったいない時間の
使い方をしているのを見ていたし、こういうことで
喜んでもらえるなら。


2011年8月19日金曜日

死と生

友人のお母さんが亡くなった。今日は葬式に。

トリノの近くの街にある丘の上の教会。教会の前の広場の
柵には、カップルの名前入りの南京錠がかけてある。
そして、愛の言葉が柵の細い棒の上に白いマジックで
所狭しと書いてある。

と、棺が到着。友人は涙を流している。
ほほを合わせ、なんて言葉をかけていいかわからないけれど
会話を交わす。手を背中に当てる。

葬式が賛美歌とともにしめやかに行われる。

そして、ラザロの話。死によって浮かび上がる生の意味について、神父が聖書の
逸話を通して語りかける。

「今日はこの話を選びました。死はつらく、逃れられない宿命だけれど、
信仰を持ち、神様の栄光をこの世に表した人の死は、神のもとで永遠の
命を得るのです。それはあなたがたが既に彼女から受け取ったものが
あなたがたによって受け継がれて行くという意味でもあります。彼女の遺産は
金銭的なものだけではありません」と。

その人が成したこと、信仰を通して周りの人のために祈ったこと、
子を残し愛情をもって育てたこと、そうしたことを通して
神のみこころをこの世に表し残したのですと。

そして、それを受け取った人は、それぞれがそれを受け継ぐ責任があるのです。
彼女が私たちに残してくれたことに感謝と敬意を表し、祈りましょう、
というと深い沈黙が訪れた。死ということを通してしか浮かび上がらないものが
シンプルな言葉の中にありました。

故人の友人が、遺言を紐解いた。

「私のことを思い出すときは、悲しむのではなく、笑っていてください。」

1時間くらいだけど、とても感動的な式でした。

日本でも、イタリアでも故人を偲ぶということにおいては、
同じ精神性があるのだと感じた。

パンとワインがキリストの体となり、それを頂く聖体拝領も
見ることができた。うやうやしく、聖杯とパンに頭を垂れ、

「パンは私の肉体、私の記憶とともに、全て食べなさい。」
「聖杯は私の血。私の記憶とともに、全て飲みなさい。」

そして、パンが配られる。そして、平和の印として、周りの人たちとの
握手。祈りのそのものである賛美歌は、美しい響きとなって心を癒してくれる。
聖書を通して、悲しみを乗り越える知恵を心に取り込む。

慣れていない初心だからかもしれないけど、そんなことを感じました。

友人の心の悲しみが早く取り去られますように。


2011年8月17日水曜日

ペルメッソ・ディ・ソッジョルノ





jazzなんていいじゃないですか。black cofee。

イタリアにいて欠かせないのが滞在許可証。

これがまたイタリアの苦難の始まりなわけです。

イタリアについて8日以内に郵便局からキット(書類やらいろいろ
入ってる申請書類セット)を送ること!とあります。

僕の場合は、一度発行されてるし、更新なんでゆっくりかまえてはいたけど、
ドコの郵便局にもこのkitがない。他の街にもない。
でた、お決まりのこのパターン。
8日以内には出せないね。月末まで待てとか、市役所で申請すりゃ
でるとか、でないとか。人によっていろいろ。
8日以内に出さなくても文句は言われないけどね。

結局、数日後に田舎の郵便局で友人に見つけてもらいました。

近くの郵便のいつものおばちゃんは、多分ここでもいけると思うけど、と。
しかし、経験者は中央郵便局しかできないよと。というわけで、
ヴァカンスシーズンの祝日の翌日(イタリアではferragostoといいます)に
中央郵便局に。別件で祝日前に言ったら郵便出すのに200人待ちだった。。。

ハラハラして行くと、誰もいない。僕がその日2人目。
おばちゃんも余裕があるのか、いろいろ書類をご機嫌に手直してくれちゃったり、
細やかなアドヴァイスをくれちゃったり。こんなことこの日にしか起きないし、
奇跡的なタイミングで郵便局に行った訳です。

人やタイミングによっては悪の巣窟に感じたり、以外といいとこやん?と
なったり。石造りだけど、感情的に定義のいまいち定まらない建物のひとつです。



ということで警察へは9月21日に。これがまた中央警察になったから、
待ち時間とかいろいろ試練なんですなあ。弁護士使えば数万円で早いけど、
太鼓を買いたいからがんばろう。カメラも買うしなあ。パソコンにくっつける
作曲用のキーボードとソフトも欲しいしなあ。って数万で買えませんけど。

この待つ、順調ということをあきらめる、ゆっくりしかできないのでゆっくりやる、
ポイントでしくじらない、でも多少のミスはあきらめる、相手にきれても仕方ない、
人によって言うことやることだいぶ違うとか気にしない、ということをあれこれ
繰り返す中で、人生観すら変わってしまうものです。変われないで文句たれる人も
いますけど。どうせこんな国なら楽しく生きる方向でやってかないと。

扶養家族が6人いる中国人が法定の所得基準以下で、家族をこのピストルで
撃ち殺したろか?そしたら基準クリアやっていうジョークを警察が言ってたのには
面食らったけども。




2011年8月15日月曜日

ニューレンズ




新しいレンズを試す。

ゴーストタウンのようなミラノ。

新しいレンズは、EF28mm f1.8のキャノンの純正。
5万円なり。

ずっしりとした重さがいい。

しかし、機種のせいだろうけど、ピントはやっぱりいまいち。
使いこなすにはまだまだ時間がかかりそう。
もう、5D Mark IIを買ってしまおうか。。。


写真、フィルム、どういうスタンスがいいのか、あれこれ
考えている。せっかくこういうカメラを使っているのだから、
テクスチャーの生きた映像がいいかなあと。
今回、トイカメラも買ってきた。いろいろ試してみたい。



うーん、散歩がてらのスナップとはいえ、まだまだです。。
ミラノの夜の薄気味悪さは表現できたかな。ちなみにこの写真
夜の9時くらいです。

2011年8月6日土曜日

kazuyoshi

11月からの和義のライブツアー。行きたいのに海外じゃあ行けません。
うまいこと帰国の日程と噛み合ないかなあ。。。被災地復興支援ライブもあり。
「ずっと好きだった」とか、絶対泣かすよなあ。。。
行けますよーに!

戻りました


ミラノに戻りました。

と思ったら風邪をひいた。

ちょっと変な症状。ちょっときつめの症状。
被災地の感染症かなあ、と思ったり。
ていうのも、思いっきり腐りまくった凶悪な
魚介類を運んだりしたしなあと。

そう、今回のハイライトは被災地ボランティア。
京の夜の飲み歩きでも、祇園祭でも、半分告白めいたあの子の一言でも、
祇園花月の漫才でもない。チュートリアルはだるーい漫才でつまらなかった。
ライセンスといくよくるよは面白かった。

そういうのではなく、強烈な経験は被災地でした。






僕が行ったのは釜石市の北の大槌町。陸前高田と並んで岩手では
被害の大きかったところです。3枚目の写真にある島は
ひょっこりひょうたん島のモデル。

あちこちに赤い旗が立っていた。見ると名前が。
それはご遺体があがった地点なのです。。。

先週まで道がハエで黒くなっていたんだよと、町役場の
臨時職員さんが教えてくれました。腐った魚があちこちにあったわけだ。

僕たちは仮設住宅に家電や必需品を入れたりひいたりする
のをした。大家族だと仮設住宅2戸を使うので、その場合
家電の数を調整しないと行けないからだ。それも町役場の
方の交渉によるけど、感情的な問題が渦巻いていた。

「町役場の人はおかしい、ってみんな言ってる」とある
主婦の人が語ってくれた。もちろん否定などしてはいけない。
しっかりと聞かせてもらった。

でも、町役場の人も家をなくしている。そして、ショック状態の中
休みなく動いている。効率が悪かったり失敗したり、いろいろある。
僕たちも目の前で大きな失敗を目の当たりにした。でも、
彼らを責める事はできない。でも、半月おしている仮設入居
予定の遅れや入居希望エリアの問題で感情が爆発しそうになっている。
近所の人や親しい家族と近くで励まし合いたいという思いがすべて
かなう訳でもない。

2105戸のなかにあるいろいろな感情。仮設に入ると、抑えていたものが
吹き出てくる。

中日は家のがれき撤去。そこのおばちゃんは、とても明るかった。
仮設でお茶をくれたおばさんもとても明るかった。
多くのものをなくした人の笑顔。3月被災者の方々は悲嘆にくれ、
ボランティアと会話する事など当然なかった。しかし、次第に
ボランティアの献身的な姿に感謝ができるようになり、彼らは
明るくなれたのだという。

感謝。これはどこに行っても人を支えるものなんだろう。でも、
彼らと一緒に笑うと、共感するのだろう、どことなく胸が痛み、
彼らの面の感情が一枚めくれてしまうような怖さがあった。一緒に
笑う事がこれほど重く、怖い事はなかった。

おばちゃんは、地震が来た後、ドアが壊れたと下の段の家の人と
話し、逃げる前にトイレさ行くべ、とトイレに行ったそうだ。
すると水が壁を打つ音がしたので外に出ると、黒い土煙と
共に津波が来ていた。予報では2、3メートルしかし、実際は
7、8メートル。すぐに二階に上がった。上がったその瞬間、
津波が1階を飲み込んだ。その通りは2階は飲み込まれないギリギリの
高さだった。もし玄関から逃げていたら、命はなかったと語ってくれた。
そして、下の段の家はすべて全壊。下の家の人は亡くなったようだ。
若い女性もののパンプスが出てきた時に、遠くを見るように
そこの家の娘のやつじゃねえかな、と言っていた。

おばちゃん、掃除をとても喜んで感謝をしてくれ、みんなに
アイスやジュースをくれた。一部は支援物資だけど、彼らは感謝が
したくても、こういう形でしかできない。ほしいのは支援物資では
なく、つかの間の、たくさんの人との心の交流なんだろう。
誰かに何かをしてあげて、ありがとう、という言葉が返ってくる。
そのやりとりが心の救いなのかも知れません。。

ほかにも4ヶ月ぶりに空いた冷凍庫の腐った魚介と格闘したり、
いろいろあったけど、現実って言うのは言葉にならなかった。
最後に、ボランティアの世話役の人が語ってくれた。

大きな黒い波にすべてを飲み込まれたけれども、全国からの
ボランティアの人たちは、また世界からの祈りや義援金は、流された
ものを少しずつ押し戻していく光のさざ波なんです。どうか、
いろんなニュースが今後出てきて被災地のことが報道される機会は
少なくなるでしょうが、どうか忘れずにこの地の復興を祈って下さい、
と語ってくれた。

人間の作ったものや価値観は小さくもろいけど、人の心のつながりは
本当に強いと思った。