ミラノに戻りました。
と思ったら風邪をひいた。
ちょっと変な症状。ちょっときつめの症状。
被災地の感染症かなあ、と思ったり。
ていうのも、思いっきり腐りまくった凶悪な
魚介類を運んだりしたしなあと。
そう、今回のハイライトは被災地ボランティア。
京の夜の飲み歩きでも、祇園祭でも、半分告白めいたあの子の一言でも、
祇園花月の漫才でもない。チュートリアルはだるーい漫才でつまらなかった。
ライセンスといくよくるよは面白かった。
そういうのではなく、強烈な経験は被災地でした。



僕が行ったのは釜石市の北の大槌町。陸前高田と並んで岩手では
被害の大きかったところです。3枚目の写真にある島は
ひょっこりひょうたん島のモデル。
あちこちに赤い旗が立っていた。見ると名前が。
それはご遺体があがった地点なのです。。。
先週まで道がハエで黒くなっていたんだよと、町役場の
臨時職員さんが教えてくれました。腐った魚があちこちにあったわけだ。
僕たちは仮設住宅に家電や必需品を入れたりひいたりする
のをした。大家族だと仮設住宅2戸を使うので、その場合
家電の数を調整しないと行けないからだ。それも町役場の
方の交渉によるけど、感情的な問題が渦巻いていた。
「町役場の人はおかしい、ってみんな言ってる」とある
主婦の人が語ってくれた。もちろん否定などしてはいけない。
しっかりと聞かせてもらった。
でも、町役場の人も家をなくしている。そして、ショック状態の中
休みなく動いている。効率が悪かったり失敗したり、いろいろある。
僕たちも目の前で大きな失敗を目の当たりにした。でも、
彼らを責める事はできない。でも、半月おしている仮設入居
予定の遅れや入居希望エリアの問題で感情が爆発しそうになっている。
近所の人や親しい家族と近くで励まし合いたいという思いがすべて
かなう訳でもない。
2105戸のなかにあるいろいろな感情。仮設に入ると、抑えていたものが
吹き出てくる。
中日は家のがれき撤去。そこのおばちゃんは、とても明るかった。
仮設でお茶をくれたおばさんもとても明るかった。
多くのものをなくした人の笑顔。3月被災者の方々は悲嘆にくれ、
ボランティアと会話する事など当然なかった。しかし、次第に
ボランティアの献身的な姿に感謝ができるようになり、彼らは
明るくなれたのだという。
感謝。これはどこに行っても人を支えるものなんだろう。でも、
彼らと一緒に笑うと、共感するのだろう、どことなく胸が痛み、
彼らの面の感情が一枚めくれてしまうような怖さがあった。一緒に
笑う事がこれほど重く、怖い事はなかった。
おばちゃんは、地震が来た後、ドアが壊れたと下の段の家の人と
話し、逃げる前にトイレさ行くべ、とトイレに行ったそうだ。
すると水が壁を打つ音がしたので外に出ると、黒い土煙と
共に津波が来ていた。予報では2、3メートルしかし、実際は
7、8メートル。すぐに二階に上がった。上がったその瞬間、
津波が1階を飲み込んだ。その通りは2階は飲み込まれないギリギリの
高さだった。もし玄関から逃げていたら、命はなかったと語ってくれた。
そして、下の段の家はすべて全壊。下の家の人は亡くなったようだ。
若い女性もののパンプスが出てきた時に、遠くを見るように
そこの家の娘のやつじゃねえかな、と言っていた。
おばちゃん、掃除をとても喜んで感謝をしてくれ、みんなに
アイスやジュースをくれた。一部は支援物資だけど、彼らは感謝が
したくても、こういう形でしかできない。ほしいのは支援物資では
なく、つかの間の、たくさんの人との心の交流なんだろう。
誰かに何かをしてあげて、ありがとう、という言葉が返ってくる。
そのやりとりが心の救いなのかも知れません。。
ほかにも4ヶ月ぶりに空いた冷凍庫の腐った魚介と格闘したり、
いろいろあったけど、現実って言うのは言葉にならなかった。
最後に、ボランティアの世話役の人が語ってくれた。
大きな黒い波にすべてを飲み込まれたけれども、全国からの
ボランティアの人たちは、また世界からの祈りや義援金は、流された
ものを少しずつ押し戻していく光のさざ波なんです。どうか、
いろんなニュースが今後出てきて被災地のことが報道される機会は
少なくなるでしょうが、どうか忘れずにこの地の復興を祈って下さい、
と語ってくれた。
人間の作ったものや価値観は小さくもろいけど、人の心のつながりは
本当に強いと思った。