
こう書くと大げさだけど、今日、まともな大人の人たちと
内輪の和食の飲み会をして、ようやく忘年会という感じがした。
きゃーきゃーいうのもいいけれど、もうそんな年齢でもないし、
節目、折り目がつく感じがしない。
今年も色々ありました。ハイライトはやっぱり被災地での
ボランティア活動。テレビで見ていたけど、やっぱり
爪痕はすごかったし、もっと早くに行けばと思った。
いつの間にか風化するのが今の世のおかしなところ。
メディアでは現実感がないし、現実を伝えることも
できない。
それにしても今年は年末まで苦しい、大変な事が多かった。
古びた大根のようになってますが、来年は切り替えて、
ガツガツやったります。感謝も文句も全部吐き出して、
引き出しに整理できたと思うし。
インドで農民が15年で25万人自殺しているという
ビデオを見た。これも衝撃的だった。世の中、何かが
大きくおかしい。遺伝子組み換えの種に法外な60%の
金利の借金を背負わされる。断固として戦っていかないと
いけない。ぼーっと生きている事なんてもうできないところまで
きている。

数万円もするワインを作って、優雅なもんですねと
揶揄する人があった。本心ではないと思うし、自覚はないんだろうけど、
瞬間湯沸かし器になった。
自然農法、その完全な成立には高度の思想、文化が伴うべきものだ。
そこから生まれてきた古代芸術の粋も文化の一部で
あらゆる文化的側面と切り離せないものだった。
より高いものを求めようとする人の精神は、自然によってのみ導かれ満たされるこれがBiotic、生命哲学の原理でありメッセージである。
(これ僕が訳したんですけどね!有名な言葉になりました。)
どうしてもこの意味と価値を伝えないといけない。
某国の有機農業のパイオニアのR研究所も
ようやく有機農業の欠点を見いだしたそうだ。
有機から抜け出さないと見えて来ない文化的領域がある。
文化的領域というのは、そこに無数のつながりがあって
あらゆる面で文化が機能しクオリティーが保持される状態を
生み出すクリエイティブでサステイナブルな力が常に
充填されている社会文化形体のことを指して言っている。
里山とか自給自足とかそれでもまだ片手落ちなんです。
有機(オーガニック、ビオ)は、よりリスクが少ないという点に
着目しているし、作物が自分の生育に適した養分を土に放射し、
それをバクテリアが分解しさらに吸収すると言う自然の完全な
サイクルを無視している。
自然への絶対的尊重、そこには科学があり、思想の生まれる
根源でもある。感性や直感もそこにある。
より高いものを求めようとする人の精神は、自然によってのみ導かれ満たされる
問題を見て核心を見る人と表面を見る人。
後者を見る人は、もっともらしい人目を引きそうな事を言う。
それが片手落ちだと知りながら。
病気を見て根本を見る人と症状を見る人。
後者を見る人は、一歩先を見て信用を得る。だけど
その後は見ない。
美術を見て霊性を見る人と色彩を見る人。
後者を見る人はセンスについて語って信用を得る。
ほんとは流行廃れの多いその考えに縛られ疲れているのに。
前者を見る事のできる人はどれくらいいるだろうか。
それが見えないから、後者にしがみついて自分も他人も
だまそうとする。それはいつか頭打ちになる事は
知っているはずなのに。
福島の原発は1万円の損をもったいぶって、1000万円の
損を残したようなもの。未来に大きな負の遺産を残してしまった。
農薬は使い続けると効果が無くなるので、さらに改良したものを
使い続けないと行けない。そしてついにはベトナム戦争の枯れ葉剤を
使い始める。もともと農薬は戦争産業の産物なのだ。
ある有名企業の綿の生産の事例。
地場産業を飲み込み綿一色にして潤わせるものの、
綿は最も農薬を用いる作物なので、土地が痩せ、土地を
変えて立ち去ってしまう。残された土地は地場産業もない
悲惨な運命が待っている。
安い食べ物。安い服。安い家。それには訳がある。
セザンヌが使った絵の具が1万円だったとしても
絵は数億になったりする。日曜画家が1000円分の
絵の具で絵を描いても1000円になるかならないか。
それにも訳がある。その部分の審美眼が曖昧で、
似たものを求めるからコピーや贋作が市場に出回る。
絵は思想、精神のクオリティーの発露であり、色彩構成図ではない。
思想のあるがかなんて滅多にいない。色彩構成、
テクスチャー構成図でテクニックに思想が押しつぶされている。
描いてる本人も批評する本人もほんとは訳が分かっていない。
こういう言葉でしか書けないから、いい印象も与えられないけど。
世の中そういう一時的なもので成り立っている。

前者、つまり核心的な部分を見ると言っても、文化的領域が構築されて
目の前にないとはっきりこうだとはいえない。だから誰も言えない。
だけど、人間は先見という能力を持っている。先を見据えて、それを
金字塔として打ち立てて、それをもとに周囲を開拓する力の事だ。
日本のケータイは先見の明があってサービス、技術で先を行っていたが、
i Phoneに負けた。美的クオリティーはともかく、
「文化を体系化し現実にリンクする力」がなかった。はっきり言えば、
中身のない娯楽しか提供できなかったのだ。未来は予想するもの
ではない。作り上げるもの。観念を現実にリンクさせて
肉付けした結果だと思う。だから観念が重要だと思う。
ワインも一つ、インドの活動も一つ、ドイツの野菜も一つ。
シェフの料理も一つ。ザンビアも一つ。日本の高度な流通も一つ。
いろいろと金字塔を立てて行く。それぞれでは片手落ちだと
言われても、先にある体系的文化を見据えて。
そして、深度も範囲も広げて、多面的で複合的な模範例を発信して行く。
ひな形をたくさん作って、当てはめやすいところで応用
してもらうというやり方でもあり、文化体系に必要な要素を抽出し、
還元して金字塔をさらに磨き上げるというやり方でもある。
ワインは象徴的産物としての意味合いが歴史的にも文化的にも強いため、
理念の部分を司っている。それは今書いた事の後者にあたる。

私は、健康な野菜だけ食べれたら良い、という人もいるだろうけど、
社会全体の事を考える大人の責任を忘れていると思う。
自分だけ自然なものを食べていても、社会が変わらなかったら
そのうちに環境は汚染され、自分にもしわ寄せが来る。
次世代には確実に不都合な未来を残す事になる。
インドの自殺者は対岸の火事ではない。農業からの文化崩壊が招いた
最も不幸な事例であって、同じ構造はすぐ近くにある。
ということで、来年に向け、思いを新たに。
雑文ごめん下さい。