2013年6月21日金曜日

夏の到来







中央一括式の空調。建物のエアコンは付けたと、しかし、冷却用の
ガスがまだこないと。

明後日来ると言って4日が経過、未だに涼しくならない。
窓という窓を開ける。ミラノ中央駅すぐ近く、大通り沿いで
空気の流れはいい。排気ガスと騒音の中で、それでも暑く汗が流れる。
路面電車とアラブ語がうるさい。中央駅に入っていたザラで、
短パンを買った。真っ白な足をさらけ出してパソコンの前に座っている。
暑いものは食べたくない。昼飯はざるそば。
中国食材店で日本で100円で買えるものが約3倍のお値段。


自然の圃場の仕事を撮影しに出発。発車5分前に24つあるホームの
一番端っこの23番ホームの、しかも奥まったところにある電車に
たどり着いた。暑い暑い。暑いせいか、水を買ったらコインの計算を
間違う店員。いつものイタリア人ではなく、南東アジア人だった。
ヴァカンスにでも行ってるんだろうか。

最初の3両は結構埋まってしまっているので、もう少し奥の車両に乗った。
・・・窓が全快だ。これはいつものエアコン故障車両か。
5両くらいを巡り歩くがすべてエアコンが機能しないようだった。
まあ、発車してしまえば猛スピードで走るので
強烈な風が両サイドから車内に吹き荒れて、
いやでも涼しくなるけども。けたたましい金属音もついてくる。

ついた先でみなでジェラートを食べたのはいうまでもない。
手作りジェラートはどこでも大体甘さ控えめ。温度も
甘過ぎないジェラートは低くしてあるので素材の味が
しっかり味わえる。これがあるから全て許せるのだろう。
ジェラート業界に不況なし、ジェラテリアは逆に増えているそうだ。

エコロジーなミラノの日々。

2012年9月6日木曜日

何ヶ月ぶり?


ずいぶんと久しぶりの更新になってしまった。Facebookがメインになっているからだ。しかし文章を書くというのも悪くない。忙しいのにどうしてまた書いているのか。ブロガーのシステムがえらい変わってしまっていた。戸惑いながら書いている。

イタリアに来て3年が経った。僕は変わった、変わってしまったというべきか。
 何が変わったかわからないくらい。基本的な性格は変わっていないけど。

人に対する態度の表し方がすごく変わったと思う。ある意味冷たくなったと思う。ある意味親身にもなったと思う。人は儚いと前よりも思うようになった。感情や思い込みで、態度をがらりと変える人を見たり聞いたりした。変わらない友情もあるけど、そういうタイプの人もいる。イタリアだろうと、日本だろうと、いろいろな噂が耳に入ってくる。聞きたくもないけど、その度に、人間て難しい、また愚かな生き物だなと思う。自分の主観で事実を曲げて感じ取ってしまうややこしい生き物でもある。

「発酵道」という本を読んだ。 微生物は酒の発酵の段階で、自分の順番が来たら精一杯働き、別種の微生物が働いている時は順番をじっと待っていて、そういった相互の調和ができているそうだ。違うからと言って、同じになればいいというものでもない。真面目というのは自分本来の姿に還ることで、自分をよく知るということだそうだ。自分の特徴を知って、謙虚に人のためになる事を精一杯できるようにすることが命を活かす事になると書いてあった。酒をだめにする菌が自然に発生したとしても、調和があれば悪さはしないそうだ。多様性と一つ一つが自然な状態で生き生きと喜んで活動できる環境こそが大事なのだ。人間の最も苦手とするところだけど。

三千年前の古代日本の文書に、磁場の善し悪しで人間の運命や草木の生育、災害などが変わるということが書いてあるらしい。人間は自分の住んでいる世界を自分で決めているのかもしれない。20世紀の物理学者がそれを1万2千カ所を計測したところ、やはりそうした関連があるということになったそうだ。詳しくは同書を読んでほしいが、イタリアにいるとよくわかる、そこに住む人の意識や想念の大切さ。不満を言うよりは逆にそれに大しても感謝しすぎるくらいがいいという、酒蔵の教えはリアルに感じる。

2012年2月15日水曜日

何気ない景色


イタリアの水田地帯。

そこには森があって、水路がある。

アルプスのわき水が豊富な土地。

数十年前のイタリアの農家。

そこには今の若者が使わないイタリア語が
たくさんある。

「alla buona」

家族のように、多少行儀悪くてもいいから
おかまいなく食べてね、という意味の言葉。
無礼講というのが近いかもしれない。ある人が
「今は言わなくなったな」と懐かしむように
言っていた。しかし、パヴィアの老人が話す田舎の方言は
まるで別の言葉のようでちっともわからない。

もちろん田舎特有の矛盾に満ちた
精神風土はあるけれど、人と人の距離が
数十年前と同じように近いままだ。何か
一緒に仕事をしてお客さんじゃなくなった時、
外国人という垣根は簡単に無くなってしまうのだった。

ワインの世界は、ちょっと特殊で、
見栄や理念、そういう箔を誰もが好む。
オリーブも、バルサミコも、イタリアを
代表する食材となると多かれ少なかれ
自尊心や誇張が入り交じるものだ。

ここは、そういう意味で本当の田舎。
昔ながらのイタリア。

2012年2月14日火曜日

われ、おもう

ミラノ生活も2年半。この間、いろいろな変化があった。

日本の陶芸が恋しいと思う事は度々だが、
せめてもの慰めとして、黒楽でお茶を飲んでいる。
茶道は毎週稽古があるので、ありがたい。

人生について語る事がよくある。ミラノに来る人は
何かしら理由や思いがあって来ていることが多い。

デザイナーの友人と語り合う。

まだまだ、自分を出し切れていない気がする。
閉塞感。人に合わせてもしょうがない。もっとやりたい事を磨きたい。
それで人を感化できるようになりたい。
これは、魂の行動原理のようなもので、かえられないし、
変えるときはこない。

友人はイタリアに来るのに、大企業の仕事を捨て、
数百万つぎ込んでイタリアに来て、学び、仕事を
したそうだ。目標としているところまで後少し。
人の下で仕事をするのもそろそろここまでと思っている
そうだ。自分の作品が世の中に出せるようになってきた、
と語る彼の裏に、いろいろなものが見えた。

自分の今の考えが小さく感じた。

自然農法圃場の記録撮影がてら、自分の写真を模索しながら
撮る事がある。手も付けられず、その写真はずっとパソコンで眠っていたが、
自分のライフワークはもうそこにある。

命あるものを撮りたい。植物の、自然の生命意思のようなものを
伝えたい。ブレッソンやドアノー、サラ・ムーンを勤めていた美術館で
見ていた日々。その時は、写真は畑違いと思っていたし、
「ブレッソンの疑問符」(サラ・ムーン制作のドキュメンタリー)を
見るまでは、ブレッソンが何なのかすらよくつかめないでいた。
いつのまにか写真を仕事で撮るようになり、その時つかんだものが
ライフワークの基礎になっていた。

コントラストの中に、自分の目で感じたものが写りだされて
行くのは面白い。写真を撮ると言う事は、沈思に似ている。













2012年1月13日金曜日

ロス







ロスは温かい。冬なのに半袖の人もたまにいる。

人はオープンで、「毎日ウェルカムよ」「楽しんでね」など、
店員が必ずと言っていい程一言足して来る。

「いらっしゃいませ、こんにちは」「おおきに、ありがとうございます」
一言足すのは店員の常なのだろう。イタリアでは、
「チャオゥ、グラツィエ」というのが常だが、全然閉鎖的。

飯やらカフェは、断然イタリア。なにか変な感じがずっと
胃にあるのはなぜだろう。



行きは、いろいろとあった。写真はコモのあたり。知ってるところを
飛行機で通るのは面白い。しかしアルプスを超えると、そこは雲だらけ。
何も見えない。


チューリッヒで降下すると、びゅーびゅーと風が吹いていて、
見るからに風速がヤバい感じだった。

すると機体が揺れた。すぐにエンジンを全開にして空に帰る。
アナウンスで近くの空港に行くと言う。しかしそこでも
急降下して、「オーマイゴッド!」とアメリカ人だけが叫ぶ。
さすが、と思いつつも、ヤバい感じがした。

結局、ドイツもだめということになり、ミラノに引き返した。
その後、いろいろすったもんだが職員と乗客の間にあり、
予約を変更することになった。

時間がかかって、大変だったけど、列に並ぶと数時間かかって大変なので、
電話したらいいよとイタリア人が教えてくれて、電話だと30分で
予約の変更ができた。もうこの時点で疲労困憊。前日の半徹夜が
悪影響。スイス航空からは新しいチケットと変更料無料の
領収書が届いた。あたりまえや。

ぐっすりと寝て、というわけにはいかず、日本人を2人程助けて、
友人宅で新年会をして、6時間の睡眠にありついた。

すっきしして、今度はミュンヘンへ。空港の飛行機から、
カートからきちっと一列に並んでいる空港。さすがドイツ。
スイスエアの方がよかったんだけど、ルフトハンザになってしまった。
空港では前日に話したイタリア人が何人かいた。目的地が同じ人は
やっぱりそうなったんだ。

ミュンヘンでは結局、滞在許可証の提示を求められた。
やっぱり他人やネットの意見はあてにならない。誰も信じない訳ではないけど、
確信に満ちた人程疑ってしまう。確実なことを言う人はいつも
謙虚で中庸的だからだ。

まずいまずい機内食に辟易しながらも、ロスについた。
長い長いパスポートコントロール。自分の番は3分で終わったのに。
そして長い長い荷物チェック。僕は10秒で終わったのに。
日本人は早いけど、南アメリカや中国系が長い。

太鼓やらミーティングやら、濃い内容の日々がこうして始まったのでした。
太鼓はアメリカンも多いけど、日系人がかなりいる。日本語はなせない
日系人もいる。でもどこか日本人ぽい。おもしろいなあ。

2012年1月5日木曜日

ロスえ

いよいよロスへ出発。フライトが長いので、徹夜しています。
2時間昼寝してロスの朝に起きたので、いい感じ。

到着したらすぐに太鼓。迎えにきてくれるのは、
今回お世話になるNさん。なんとグラミー賞を
和太鼓奏者として初めて受賞された方です。
作曲された新曲も学べるし、グラミーとったCDの
ソロ演奏も学べる。楽しみやわあ。ついでにNBAの
レーカーズも見ときたい。気温は最高24度とか。
最高や。合間を見て、facebookのタイムラインの
カバー用にこんなの作っちゃいました。


1月ミラノを明けるので、正月返上で仕事仕事仕事だった。

実は、こんかいにこぎつけるのに、さらに大変な
事があった。身分証明書が必要なときがあり、
滞在許可証を持って行ったのだが、慌てて行ったので、
ポケットに入れたはずの許可証がなくなっていた。
きをつけてきをつけて、あわててなくすという。。
あるはずもない滞在許可証を何度さがしたか。

ということで、すぐに複製を申請。スムーズに行ったのだが、
なかなか届かない。12月30日にしびれを切らして、
仮滞在許可証を申請しに行った。というのも、申請中は
国外にでては行けないので、本券がないなら、これを申請しないと行けない。
申請のレシートでは行けないのです。フランスではレセピセが
効果を発揮するとかしないとか。

しかし、ネット情報では、仮ではシェンゲン圏内の他国を経由しては
いけないとか、経由地が違っては行けないとか
いろいろあった。行きがチューリッヒ、帰りフランクフルト。
ということで心配の種だらけだった。

移民局で申請すると、「問題がある」と窓口の職員が言う。
やっぱり?と思ったら違う事だった。
前日の12月29日に新しい許可証がローマで印刷されて
発送されたので、そうなると仮は発行できない、という。

なんてこった!じゃいつ届くの?というと1月4日に
順番待たずに来たら良いと紙に書いてくれた。そして
まずここに届くからチェックしてやる、と。
親切な人にいつも出くわすんだけど、今回も。
ありがたや。実際それがないと寒空で待たされる
ところだった。この国は文書とサインがとても重要で
効果を発揮する。サインの重みを改めて学んだ。
話し言葉は飛んでしまう、とラテン語でも言うらしい。

4日に行くと、顔を覚えてくれてたらしく、手招きして、
「来てる事を望むよ」とすぐにチェックを始めてくれた。
そして奥に行って、帰ってきた。手ぶらやん。

「仮、発行するよ」

「?」

まだ届いてないの?
仮は発行できないっていってたよね?

まあ、どっちでもいいや。

なにせ、招待状(自分で書いてサインだけしてもらった)には
「グラミー賞」の文字が。仮なんて担当官の判断で
印刷してしまえばあとは写真を特殊シールで貼るだけ。
すんなり行きました。友人のように担当官と仲良くなり、
数週間の苦悩から解き放たれた訳です。まるで釈放でも
されたかのように。

ということで問題なく出発して帰国できる訳です。
だんだん移民系の手続きに強くなって行く私。
ネットのせいで心配の種が増したので二度と信用しません。
今回は担当官もタイミングもよかったし、招待状が
強かったのでよかったけど、準備次第ってことだと思う。

日本人だとパスポートチェックだけで滞在許可証は
聞かれないと言う人もいたけれど。
念には念をが、日本人ですし。

2012年1月1日日曜日

2012


年が明けました。

ちらっとネットで紅白を見たら、地元出身の
五木ひろしが「ふるさと」を歌っていた。
妙に懐かしくなった。

連ドラ「ちりとてちん」こちらも地元が舞台で、
本人がこの歌をドラマの中で歌ったのは
忘れられない名シーンだった。

父親も紅白みながら歌ってんだろうなとか思い、
妙なシンクロ間を感じながら、サビを歌った。
この曲のサビ以外は知らないけど。あ、
振り向けば日本海がなぜかiTunesに入ってる。

結構懐かしい気分になるのは海外で正月を
迎えるからだろう。日本の正月程風情のあるものはない。
子供のときからの魔法のような時間が、記憶として
残っていて、日本の風習、文化の奥深さを
感じる訳です。ワインもいいけどね。

日本だと斉藤和義が「ミタ」で偉い注目されてるみたいだね。
僕は33歳。彼の歌を聴き始めたのが多分15か16。
こんなに長い間支持してるアーティストはそうそういない。
ということで今年最初のブログ登場曲もやっぱりこの曲。



今年は、爆竹フライング禁止令がでてたらしく、
年が明けるまで爆発音はあまりしなかった。
例年はうるさくてかなり腹が立つけど、
年明けと同時に近くのミラノ中央駅では盛大に花火が
上がったのが空が光っていたのでわかった。

上司が年が明けるなり、なぜか日本から届いた被災者の
歩みのビデオを見ようとか言い出して、20分もあったので
花火が終わってしまった。

同僚にアメリカに持って行くワインを届けてもらった。
梱包すると中身がわからないので、GとかSとかMと
書いておくと、ワイナリーのミンモと電話で打ち合わせたのだが、
もう一つTと書いてある箱があった。はて?と思って開けると
それは僕へのプレゼントのボトルだった。

初笑い付きの心憎いプレゼント。ありったけの感謝の言葉を
メールに書いた。

人をほっこりさせる人になりたいと思います。