大学の手続きが始まった。
イタリア文化会館で説明会、
そして大阪に行って、外務省でアポスティーユを
書類にもらい、大阪のイタリア総領事館で
写真証明をもらう。そして書類を翻訳に出し、
再度東京に。
もう、祇園祭の時期。
16日は宵山。17日は山鉾巡業。
もう5年もみていない。
ひょっとしたら、今年からもう長いこと
みられなくなるかもしれないから、
今年は必見かな。
にしても、東京は人だらけ。
京都の友達は、もう京都には
帰らない、みたいなことを言っていたけど、
うーん、僕は逆だな。銀座で友達
おすすめのチョコレートケーキを食べた。
帝国ホテルの近くで、歴史ある高級カフェ。
昭和の味がした。パリのおいしさとは
全く別だった。文化ってなんだろう。
イミテーションの文化はむなしい。
最高の食べ物にはフィロソフィーが
香るものだけど、それは感じなかった。
もちろんおいしいんだけど。
三井記念美術館で奈良の仏像の展覧会を
やっていた。やっぱり美術館でみるのって、
いまいち。近くでじっくりみられるメリットは
あるけども。ミホミュージアムがすごすぎるからか、
展示ボックスの布の継ぎ目とかそういう細部
で大きな違いがあり、また、現場でみる姿とは
大きな違いがあり、それほど楽しめなかった。
文化は現場です。仏像は祈りの場にあるべきだし、
自然の光とその土地の霊気にはかなわない。
美術館文化の限界をまたしても感じた。
東京のSという美術商では、自然光でものをみせる
ようになったそうで、これもものの見方が進んできた
時代の回答なのだと思う。照明でものの美しさを
引き出す、というのはいずれ飽きがくる。美術館
勤めのとき、僕が最後になるとよく照明で遊んだ。
でもついには、光の表現の幅の限界があり、
飽きてしまった。もともとライトには、美しさが
ない。自然光には無限の美しさがある。まったく
別物なのだ。極度にそのものの美しさを引き出した
としても、それは自然の姿ではない。無神経な
人に強調してみせるような行為は、もともと
商業的な行為なのであって美的な理由による
自然な必要性からくる行為ではない。
料理しかり。やはり金沢と京都の文化の対比、
イタリアの土着文化に近い、必然性に満ちた
文化、というのが僕にはしみ込んでいるようです。
夕方秋葉に行って、念願のPCの部品を購入。
上野でデイリーユース3時間のホテルを予約して
あったのでシャワーを浴びて休んだ。夜行バス
って疲れるんよねえ。3列シートで新幹線の
グリーン車のシートを使っているバスにしたけど、
それでもやっぱり疲れる。次回はどうしよう。
0 件のコメント:
コメントを投稿