2010年2月17日水曜日

お茶の味

人生で、すごくうまくいくことと、いかないこと。
その両極端の間に今、います。

偏った考え、志向の人が何人かいます。一種の哲学があるが、
どうして、そうやって現実を変に解釈をしたがるのか、
自分の解釈が正しいかのような振る舞いをするのか、
人の都合を客観的に考えられないのか、と不思議にも
残念にも思うこと、数百回。身近であるほど、思うがままで
遠慮がないので困ってしまう。慰めてくれる同い年の友人もあるが、
問題の根本的な解決には至らず。ちなみに恋愛の問題では
ありません。もしそうなら、半ばのろけになってしまう。

イタリアという異国で、人種差別の中がんばって生きている
人にたくさん出会う。とてもいい人たち。お互いが
心を掛け合って、気持ちよく過ごせる人たち。何かを伝えようと
してくれる人もいる。人によって合う合わないははっきり
あるらしく、社交辞令だけで付き合いの深まらない人もいる。
でも、前者よりはまし。思いが沿わないなら距離をとる。
合うなら思い切り楽しく。

そんなこんなが、一期一会なのかもしれません。
身近な人が前者だと苦しい思いをいやというほどするが、
出会いというつかの間の彩り豊かな人間関係が、
定型化する思いをほぐしてくれる。そんなこんながあり、
余計にお茶がおいしく感じる今日この頃。

イタリア人が点てたお茶を啜る。形になっていないお茶もある。
でも、どこかその人らしい愛嬌があると思いがけず、ふと感じる。
自分なんかよりはるかに上のレベルのお茶を点ててくれる60歳の
イタリア人のお茶もある。じわりと精神的に高め、保ち、
心を守ってくれるようなお茶。前述の数百回の不満が、
一気にかき消される。そういうのはお茶以外にないな、と思う。
ミラノでそんな茶会のひと時が持てるというのは、幸せなこと。
その茶をおいしく飲ませてくれるのも、同席する人であって、
そういう場所を意図せず、不思議な巡り会わせで見つけられたのは、
この上なく幸運だと思う。思い起こせば、その最初のきっかけの時に
床に掛かっていたのも紫野の某僧正の「一期一会」だった。
書かれたご当人も、まさかこういう思いを、異国で人の心に抱かせる
とは思っていなかっただろう。思いのこもった書とは貴重なものです。

お茶ってその人の味だなと気付けたのは、この国の個性豊かな
人たちが集まっての茶会のお陰、です。西洋の個人の強さは、
ひょっとすると昔の人の茶に通じているかもしれない。
自分の茶はやっぱり自分。いつも同じようでつまらない。
人の点てた茶を啜りたいと恋焦がれつつ、週に一度の稽古を待つ。

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