2011年8月19日金曜日

死と生

友人のお母さんが亡くなった。今日は葬式に。

トリノの近くの街にある丘の上の教会。教会の前の広場の
柵には、カップルの名前入りの南京錠がかけてある。
そして、愛の言葉が柵の細い棒の上に白いマジックで
所狭しと書いてある。

と、棺が到着。友人は涙を流している。
ほほを合わせ、なんて言葉をかけていいかわからないけれど
会話を交わす。手を背中に当てる。

葬式が賛美歌とともにしめやかに行われる。

そして、ラザロの話。死によって浮かび上がる生の意味について、神父が聖書の
逸話を通して語りかける。

「今日はこの話を選びました。死はつらく、逃れられない宿命だけれど、
信仰を持ち、神様の栄光をこの世に表した人の死は、神のもとで永遠の
命を得るのです。それはあなたがたが既に彼女から受け取ったものが
あなたがたによって受け継がれて行くという意味でもあります。彼女の遺産は
金銭的なものだけではありません」と。

その人が成したこと、信仰を通して周りの人のために祈ったこと、
子を残し愛情をもって育てたこと、そうしたことを通して
神のみこころをこの世に表し残したのですと。

そして、それを受け取った人は、それぞれがそれを受け継ぐ責任があるのです。
彼女が私たちに残してくれたことに感謝と敬意を表し、祈りましょう、
というと深い沈黙が訪れた。死ということを通してしか浮かび上がらないものが
シンプルな言葉の中にありました。

故人の友人が、遺言を紐解いた。

「私のことを思い出すときは、悲しむのではなく、笑っていてください。」

1時間くらいだけど、とても感動的な式でした。

日本でも、イタリアでも故人を偲ぶということにおいては、
同じ精神性があるのだと感じた。

パンとワインがキリストの体となり、それを頂く聖体拝領も
見ることができた。うやうやしく、聖杯とパンに頭を垂れ、

「パンは私の肉体、私の記憶とともに、全て食べなさい。」
「聖杯は私の血。私の記憶とともに、全て飲みなさい。」

そして、パンが配られる。そして、平和の印として、周りの人たちとの
握手。祈りのそのものである賛美歌は、美しい響きとなって心を癒してくれる。
聖書を通して、悲しみを乗り越える知恵を心に取り込む。

慣れていない初心だからかもしれないけど、そんなことを感じました。

友人の心の悲しみが早く取り去られますように。


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